フィフティ・ピープル
- Author
- チョン セラン
- Co-Author
- -
- Translator
- 斎藤真理子
- Publisher
- 亜紀書房
- Published Year
- 2018
- Country
- JAPAN
- Classification
-
KDC구분 > literature > Korean Literature > Korean Fiction > 21st century
- Original Title
- 피프티 피플
- Original Language
-
Korean(한국어)
- Romanization of Original
- Pipeuti pipeul
- ISBN
- 9784750515649
- Page
- 488
- Volume
- -
- The Series
- となりの国のものがたり
No. | Call No. | Location | Status | Due Date | Reservation |
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1 | 일본어 813 정세랑 피-사 | LTI Korea Library | Available | - | - |
Book Reviews1
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Japanese(日本語)合縁奇縁この作品を読み終わったとき、私はとある歌の一節がふと浮かんだ。宇多田ヒカルさんの『誰かの願いが叶うころ』の「みんなの願いは同時には叶わない」だ。 病院という共通の場を介して、50人余りの登場人物がそれぞれの人生を生きている。ある人が恋愛に興じているとき、見知らぬ誰かは大事な人を永遠に失い、ある人は思わぬ出来事から新しい仕事を得るのに対し、見知らぬ誰かは今の仕事を失うことが恐ろしいため無休で働き続ける。どうしようもなく人生に絶望し、どん底に立っていたとしても、必ず光明は指すものだ。絶望する「見知らぬ誰か」は知らず知らずのうちに、彼らのすぐ側にいる人たち、あるいは顔も知らない誰かの言動によって救われている。同時に願いは叶わないかもしれない。時間がかかるかもしれない。しかし、必ずあなたの番は来る。願いは叶うのだと信じたくなる作品だ。 人と人が出会うことを「縁」という。その「縁」には、「良縁」と「悪縁」と呼ばれる2つのものがある。両者に大きな差異はないと私は思う。その「縁」が「良縁」であるのか「悪縁」であるのかなんて、その出会いをどう捉えるかによって変わるものであるし、結局どちらも結ばれるべくして、結ばれてしまったものであることに変わりはないからだ。相関図を書きながら、この作品を読むことをぜひおすすめしたい。人と人との出会いが、こんなにも思いもよらぬところで絡み合い、相関図の中で結ばれた線を「縁」と考えれば、こんなにも多くの人と多種多様な「縁」を結んで私たちは生きているのかと実感できるはずだ。そのような相関図を作れば、「縁」について当事者、家族、第三者など、それぞれの視点から、さらに深く考えることができる。これは、この作品の魅力の1つであろう。例えば、とある事件を当事者から見た視点では、もっと早く誰かに救いを求められなかったのか、なぜそのような行動に走ってしまったのかなど読者に対して、簡単には答えられない問いを投げかけてくる。その一方で、当の本人は全く関係ない、他人事だと思い、第三者として問題を捉えている人の視点かと思いきや、なんと実は自分の家族がそこに関わっていたというどんでん返しが実におもしろい。なぜこうなってしまったのか、もっと早く行動していれば。なるほど、そんな事情があったのならば仕方ない。私もきっと同じようにしたはずだと共感する話も多い。50人余りの登場人物の中に、必ず「私」がいるはずだ。 また、この作品には多くの社会問題が織り込まれている。トラックの過積載による事故、性別マイノリティーへの差別、家庭内暴力、子どもの貧困などだ。どうしようもなく、やるせない気持ちになるテーマもある。物語の舞台となっているのは韓国だ。しかし、なぜだろう。どこか余所事の話ではないと感じるのは。 この作品を読んで、ふとこんなことを思った。今日私が電車で友人と話した話題。ワイドショーでは、「仮名Aさん」と表現されていたその人が、もしかしたらその友人かもしれない。その友人の知人かもしれない。いや、私の隣に座っていた見知らぬ誰かのことだったのかもしれない。私は、今日友人とどんな話をしただろうか。「仮名Aさん」を称賛する話題だった?いや、ひどく名誉を傷つける話題だった?私の発した一言で、誰かを幸せにもするし、逆に不幸にすることだってあるのだ。自分の知らないところで世界は動いているし、誰かに少なからず影響を与えている。親戚の親戚や友達の友達、さらにSNS全盛のこの時代においては、簡単に世界中の人と繋がることができるようになった。私たちは気づかぬうちに、あらゆる所で「縁」を結んでいるのだ。 誰もが自分の人生を生きる主人公である一方で、通りすがりの誰かにとってはただのモブキャラクターにすぎない。しかし、人が生きることに何一つ無意味なことなんてない。あなたの何気ない行動一つに救われている人はいるはずだ。たとえ感謝されることも、気づかれることがなくとも。この物語は、それを如実に表しているのではないだろうか。この作品の登場人物たちのように、自分でも気づかぬうちに見知らぬ誰かを少しでも幸せな気持ちに出来たなら。顔も知らない誰かの背中を押し、勇気づけることが出来たなら。きっとそれは回り巡って自分にも必ず返ってくる。私はこの作品と出会ったことで、いつもその気持ちを忘れず、心に銘じて生きていきたいと思った。
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